ZK 英語学習として洋画DVDを観てはいかかでしょうか
少し前から、昔の映画のDVDがだいぶ安くで買えるようになりましたね。
たまに行くCD店でも、映画のDVDを置いていて、それもどれでも3枚1000円とか1500円とかでまとめ売りされています。
さすがにここ数年に公開された新作映画はありませんが、往年の名作などと呼ばれるものが既に版権が切れているためか、たくさんラインアップされているようです。
レンタル店で借りるのもいいけれど、借りに行ったり返しに行ったりが面倒だったり、一作品を最初から最後まで観るだけのまとまった時間がなかなかとれない現在の状況を考えると、私にとっては、目についたときに買っておいて時間ができたときに観るというのがベストな選択のようです。
そもそも、私が映画のDVDを買うようになったひとつの動機は、英語の勉強に役立てたい(ありがちですが)ということでした。
と言っても特にTOEICや英検を受けようとか資格をとろうなどというだいそれた動機ではなく、なんとなく、洋書を原書で読めたり、吹き替えや日本語字幕なしで映画が観られたら楽しいだろうなと思うようになったからでした。
そんなときにふと立ち寄った大手CD店で洋画DVDが手頃な価格でまとめ売りされているのを見つけ、これはと思い、買ってみることにしたのでした。
まとめ売りと言っても、最初から3本セットになっているわけではなく、ラインナップされているシリーズの中の作品から、自分で好きな作品を3つ選ぶことができますので、タイトルやパッケージをひとつひとつ確認しながら選ぶのは、それ自体が楽しい作業でもありました。
私がDVDを選ぶポイントは、
1 何度でも観てみたいと思える面白い(興味深い)作品であること
2 字幕に「英語字幕」があるものであること
の2点です。
1は当然のこととして、なぜ2の英語字幕付きのものを選ぶのかというと、英語を勉強する上で、英語字幕がかなり有効だと思ったからです。
元々英語の力が備わっているのであれば特に必要はないのでしょうが、私のように中学・高校で習った英語すらうる覚えで、ましてやリスニング能力が皆無とあっては、単に作品の中で登場人物が語る英語を聞いても理解はできません。かと言って、日本語字幕では、台詞と字幕のタイミングが必ずしも一致するわけではありませんし、素敵に意訳されていたりもします。
その点、英語字幕ですと、台詞そのものが英語で表示され、耳で聞いた英語の台詞そのものがどんな英文であるのかが一目でわかるのではないかと思ったのです。
実際に英語字幕にして観ると、耳で聞き取れない部分が目で確認でき、思ったとおりでした。
ということで、昨日は久し振りに週末の休みがとれたので、以前、購入したオードリー・ヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』を自宅で観ました。
オードリーの主演作品を観たのは、『ローマの休日』に続き2作目でした。個人的には『ローマの休日』が大好きで、オードリーの一番の代表作だと勝手に思いこんでいましたが、『ローマの休日』での王女役とは全く色合いの違った、ホリーという難しい役を演じたオードリーの凄さに改めて驚きました。
原作はかのトルーマン・カポーティで、それ自体、素晴らしい小説ですが、映画『ティファニーで朝食を』は原作とはまた違った完成された一つの作品となっています。
今までオードリーには、どちらかと言えば個性的でチャーミング、可愛らしいというイメージを持っていましたが、この作品を通じて、オードリーに対する見方がまた大きく変わりました。
亡くなったのが93年でしたから、既に20年がたっています。この『ティファニーで朝食を』が公開されたのが1961年、今から50年以上も前の作品ということになります。
しかし、そうした時の流れの中で全く色褪せないこの『ティファニーで朝食を』という作品と映画の中のオードリーは、やはり稀代の名作であり名優であったのだと思います。
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BR 『乱読のセレンディピティ』 外山滋比古
爽やかな読後感でした。
著者の本を読んだのは、名著『思考の整理学』に続いて2冊目ですが、本書も前著に優るとも劣らない内容であったと思います。
私自身、日々、ただ自らの思いにまかせ、あまりカテゴリーも気にせずに、ひとつの本から受けたインスピレーションやらキイワードのようなものを頼りに、連鎖的に次の本へと辿り着くような読書を続けていたので、果たしてこんな読書で良いのかと時折思っていたところでしたが、この本を読んで胸の奥に溜まった澱がすっきりと流れたようでした。
副題の「思いがけないことを発見するための読書術」がまさに本書の内容のすべてを語っています。
一般に乱読はよくないとされる。なるべく避けるのが望ましいと言われる。しかし、乱読でなくてはおこらないセレンディピティがあることを認めるのは新しい思考と言ってよい。そうすれば、人文系の分野にも、セレンディピティが生まれることがはっきりする。
作者は乱読によって得られるセレンディピティを重要視しています。それは一方の知の巨匠である梅棹忠夫先生が『知的生産の技術』の中で説かれていた京大式カードによる知的創造作業と共通するものではないでしょうか。
記憶するための読書ではなく、忘却することで新陳代謝がおこり、再生されることこそが素晴らしい、そんなことを作者は本書の中で私たちに教えてくれています。
風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味をうち明ける。
本は風のごとく読むのがよい。
まさに至言、名言だと思いました。
BR 『桜の首飾り』 千早 茜
- 作者: 千早茜
- 出版社/メーカー: 実業之日本社
- 発売日: 2013/02/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書「桜の首飾り」に納められたどの短編も、桜そのものをテーマにしたほんのりと香り漂う作品でした。その1編1編は、ほんのわずかずつ濃淡の違いを見せる桜の花びらのように、色合いの違いを見せてくれていました。
しかし、それらは1本の糸に綴られた首飾りのように、全体でそれはまた別の美しさをもった作品となっているようにも思えました。
作者の千早茜氏については、正直なところ、本書を読むまで全くなにも知りませんでした。他の方のレビューがきっかけとなり、出会うことができました。
この作者の描くふわふわとした、あるいはひらひらとした、頼りなくはかなげな空気感は、いったいどこから生まれてくるのか、とても興味深く思いました。
作者の描く物語は、どこに行き着くのかわからないままに、読み手をその小舟に乗せて、穏やかに時間の狭間を漂っていくようです。私たちはその穏やかな揺らぎに身を任せることの心地よさに、いつのまにかほろ酔い加減に包まれてしまいます。
桜の季節にお勧めの1冊です。
BR 『最果てアーケード』 小川 洋子
小川洋子氏の小説を読んだのは、「人質の朗読会」「猫を抱いて象と泳ぐ」に続いて3冊目でした。
前2作と同様、やはり著者の描く世界には独特の空気感があるように思います。物語を流れる風はどこまでも透明で、時間は流れるでもなく淀むでもなく、ただそこに静かに漂っているといった感じです。
本書「最果てアーケード」の舞台は、まさに日常から隔絶された特別な空間でした。物語に登場する義眼屋、輪っか屋、紙店、勲章屋、遺髪専門のレース編み師、ドアノブ専門店。それらのどれをとってみても、それらひとつひとつは奇妙で、興味深く、かつ愛らしいのです。そして著者の描くそうした人物や風景は、奇妙でありながらも、読み手の胸の奥深くに鮮やかに結像するのです。
読後、思わず細く長い息を吐きたくなるような、そんな雰囲気の小説でした。すべてが不思議な、不可思議な世界を描きながら、それでいていつのまにか読み手の心は洗われ、優しく癒されるのです。
この作品には、嵐のようなドラマティックさも、溢れ出す涙も、爆笑の渦も、そのひとつさえ描かれてはいませんが、著者の持つ独特の空気感、小川洋子ワールドにはそれらを凌駕する底知れない魅力があるような気がします。
BR 『傷つきやすくなった世界で』 石田衣良
タイトルに惹かれて書店で手に取りました。石田衣良氏の小説は、今までに多く読んでいて、個人的に好きな作家の一人です。
本書は、小説家石田衣良氏が、20代の若者に向けて書いたエッセイ集で、平成18年から平成20年にかけてリクルートR25に連載されたエッセイを一冊の本にまとめたものです。
書かれた時から既に6~8年が経っていますが、とりあげられているテーマは現在の日本社会においても、いまだ解消されていない問題ばかりです。
当時は、自民党から民主党への政権交代が現実のものとなりつつある、まさに政権交代前夜といった時代でした。読み終えたあと、あれから後の政権交代と東日本大震災、政権再交代を経た今、私たちは果たして多少なりとも前進したと言えるのかと考えてしまいました。
著者は、本書の中で改憲問題等に触れ、「その過程で日本人の良識が働くだろうと、ぼくは信じているのだ」と述べています。日本社会の進む方向が混沌としている現在、著者のいうように国民の良識が、この社会を良い方向へ導いてくれるとよいと思うのですが。
石田衣良氏の小説は、かっこよくて優しく暖かい作品が多いですが、エッセイも同様に柔らかく暖かな文章で、読む側を優しく包んでくれるようです。
GW最終日に良い本にまた巡り会えました。
ZK 仕舞い込んだままのカメラと風景と
オリンパス Olympus XA2 + A11(ストロボ)付き
- 出版社/メーカー: オリンパス
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机の奥から仕舞い忘れていたフィルムカメラがひょっこり出てきました。
オリンパス XA2
当時としては画期的な小型カメラで、その風貌と機能性に一目惚れして即購入したのでした。出かける時にはいつも鞄の中に入れ、気軽に気ままにたくさんの写真を撮りました。
20代前半に青年の船事業に参加し、約2ヶ月ほどインドやスリランカ、パキスタンなどの国々を訪れた際にも連れていった1台でした。
あれから30年近くたち、その間、数度にわたる引っ越しのはざまでいつのまにかどこかへ潜り込んでしまい、私自身、その存在さえも忘れかけていました。
それがふとした拍子から目の前に現れ、あまりの懐かしさにしばらく見とれていました。
しかし、いくら何でももう動かないかもしれません。
とりあえず、入れっぱなしのボタン電池を取り出してみました。幸いにも電池の液漏れや腐食はなさそうです。
背面のカバーを開けてみると、若干の錆は見受けられるものの内部は特に故障などしていなさそうです。
やはり、昭和のフィルムカメラは、今時のデジカメとは違って趣きがあっていいな、などとひとりごちながら、いちおう、内部のクリーニングと電池の入れ替えをしてみることにしました。
明日、新しい電池とフィルムを買ってきて、30年振りにシャッターを押してみたいと思います。
もしも正常に作動したら、きっとそこには30年の時間を超えたレンズを通過した画像が、静かに写し込まれることになるのでしょう。