本と音楽と珈琲の日々

読書録、日々の出来事、雑感をつれづれに

BR 『タイムトラベルの哲学』 青山拓央

先日、立ち寄った古書店で見つけ、即買いしました。著者の当時のプロフィールとして、「千葉大大学院の学生」という点にも惹かれました。

内容は、一見、哲学とは相性の良くない(?)タイムトラベルを素材として「時間論」について語っています。

しかし、ちょっとわかりにくいのは、あらかじめ「時間」の定義が明らかにされていないということ。著者は、いきなり「私の時間」「前後の時間」に言及していますが、そもそもこれから議論しようとする「時間」をどのように定義しておくかが読み手に示されていないことから、その後の議論を曖昧にしているような印象を受けてしまいます。それはつまり「時間の本質が何か」という意味ではなく、「人は何を『時間』と呼んでいるのか」という語の定義という意味においてですが。
一般に私たちは、「時間」「時刻」「時の流れ」などという言葉を日常的に使うことがあるわけですが、こうした語の意味を議論に先立ってそれぞれどのように定義しておくかということが、読み手の立場からすればかなり重要であったとも思います。また、そうした丁寧さがあれば更に明解になったような気がするのです。

また、言説への理由の明確化についても同様に。たとえば、

たとえば僕は生きているか、生きていないかの二通りであるはずだが、このことから僕が生きている世界と生きていない世界とが、半々に存在するとは言えないだろう(P146)

本書の中で、このように著者は述べていますが、なぜそう言えるのかの説明がないのは、読み手からするとかなり不安になります。実際に「僕」は生きているのだから、僕が生きている世界と生きていない世界とが半々とは実感しえないということなら、それは単に「独我論」に落ち込んでしまうことにもなりかねません。そのあたりを説明してもらえば、私のような素人にもわかりやすかったのではと思うのです。

第8章「アキレスと亀の遺産」はかなり面白く読めました。有名なパラドックスではありますが、本書を通じて、これは「過去は現在に追いつけない」ということに収斂されるのではと思い至りました。

本書は著者自身が述べているとおり、終わる哲学ではなく「始まる哲学」であり、また、単に時間論に留まらず、哲学・思想全体への出発点として、オススメの一冊です。

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