本と音楽と珈琲の日々

読書録、日々の出来事、雑感をつれづれに

BR 『夢をかなえるゾウ』 水野敬也

かなり売れた本として、前々からタイトルは知っていました。でも、とかく売れた本って逆に手を出しづらいというか、まあ、急いで読まなくなっていいんじゃないかという気持ちになってしまい、結局、そのまま忘れてしまうということがままあります。

流行るということは、同時にすぐに忘れられるということでもある、と誰かが言っていましたが、まさにそんなちょっと天の邪鬼な気持ちから、本書も私の中ではしばらく忘れた存在となっていました。

ところが、ふとした拍子で本書のことを思い出し、そろそろ読んでみようかという気になって、BOOKOFFで購入。

読み始めて、すぐに「う~ん、さすがに売れただけのある本だ」と唸りました。文章に読み手を惹き付けるパワーが漲っている。

また、作り方もとても巧みで、ガネーシャが関西弁で話すというアイデアもなかなかに秀逸でした。内容的にはいわゆる自己啓発物ですが、同じ内容のことを単なる自己啓発本として書いたのではおそらくここまでヒットしなかったでしょう。

すべて作者と出版関係者のアイデアの勝利に尽きると思います。出版業界が不況と言われて久しい中で、本を作るということ、特に多くの読者に読まれる本をいかにして作るかということを改めて教えられた気がします。

確かに本は中身が第一。どんなに売り方が凝っていても、中身がスカスカの本は売れません。しかし、逆にどんなに中身が素晴らしくとも、売り方が下手では結局多くの人の目に触れる機会もなくなってしまうというもの。

時代の流れを読み、素晴らしい内容の本をなるべくたくさんの人の目に触れさせる、なかなか難しいことではあると思いますが、ある意味、それを成功させたのが本書ということができるかもしれません。

まさに著者は本書で「夢をかなえ」たと言えるのかも。。。。

 

夢をかなえるゾウ 文庫版

夢をかなえるゾウ 文庫版

 

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BR 『知の技法』 小林康夫/船曳建夫[編] 東京大学出版会 

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(注:イメージ画像)

先日、高校生の息子といっしょにいくつかの大学のオープンキャンパスに行ってきました。私が通ったころの大学と現在の大学はその風景も大きく変わり、時間の流れを痛感せずにはいられませんでした。

大学での授業、講義は今はどんな感じなのでしょう。オープンキャンパスの際に模擬授業があり、息子は参加してきましたが、私は外で待っていました。ちょっと受けてみればよかったかなと今になって思うところも・・・。

ところで、本書『知の技法は今から20年くらい前に東京大学教養学部で文系1年生のテキストとして使用されていたものとのこと。久々に大学生に戻った気分で読んでみました。おお、何十年かぶりに大学で講義を受けているような感覚でなかなか面白い。内容は、大学で知をどのように学ぶのかといったことを基本テーマとして、文系の各分野において具体的な言説が、さも講義のような形式と分量で展開されています。

しかし、もしかすると日本の最高学府と呼ばれる東京大学がこのような教養を行わなければならないという事態にこそ、日本の大学教育の問題点があるのかもしれません。

意識的に「聞き取る」のではなく、自然に「聞こえてくる」,作品の「感じ」-それをつかんだ気になれることが,要するに「読んだ」ということ(P69 翻訳-作品の声を聞く)
同じころ画家のブラックは、「わたしは物を信じない、信じるのは物と物との関係だけである」といっています。(P102 構造-ドラゴン・クエストから言語の本質へ)

要素というものが全体(体系、構造、場、パタン)のなかで、他の要素との関係(対立、対照、差違)を通じて価値(機能、意味)を得ている、という認識の仕方なのです(P111 前同)

いわゆる《構造主義》にはさまざまの傾向を見ることができます。これを諸科学における認識の方法と考えると、そのもっとも基本的な共通項と見なされうるのは、ほぼ次の三点に尽きるように思われます:
(1)全体の重視
(2)全体を構成する、諸部分どうしの関係にたいする注目
(3)ある構造から別の構造への変換」(P112 前同)

セミナーの中で議論を行なうことの全般にわたる難しさは、演習の内容や取り組みの熱心さといった水準よりも深いところで、「うなずきあいの18年」間に鍛え上げた同意の技術が、不同意の意見を作り、言うことを妨げていることにあります(P275 結び-「うなずきあい」の18年と訣れて) 

 本書が刊行されてから20年、現在の大学を巡る状況は、この当時の大学関係者が憂慮した事態を免れえたかは甚だ疑問です。むしろ、東大の或いは大学全体のというよりも日本全体の「知」に対する姿勢そのものの問題であるように思えてならないのですが。

 

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

 

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