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MV 『人間の証明』 角川映画 を観て思うこと

 

人間の証明 [DVD]

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 久々に70年代後半の角川全盛時代への幕開けとも言える日本映画然とした作品を観ました。

角川映画第二弾、森村誠一の同名小説を原作とした作品だったように記憶しています。

当時は、ジョー山中の主題歌と西條八十の詩が印象的で、結構、あか抜けたイメージの邦画だったように記憶していたのですが、あれから数十年がたって改めて観てみると、スクリーンロールの文字や映画の作り方がいかにもあの時代を物語っているような気がします。

賛否両論がありますが、あの時代の映画界における角川の意味とはいったい何だったのでしょうか。

小津安二郎に代表される戦後の日本映画を良くも悪くも転回させた一翼を担ったのが、角川映画だったように思います。

本作『人間の証明』も扱っているテーマは非常に思索的で重厚でしたし、謎解きという意味でもなかなかに凝った筋立てだったように思うのです。

しかし、完成した全体像を観るとあまりにあの頃、ありがちだった日本映画然とした仕上げになってしまっています。

当時、高校生だった私は映研(映画研究会)に所属する友人たちが、こぞってその当時の日本映画には観るべき作品がないと語っていたのを覚えています。

確かに、今こうして観ると、この作品だけではなく、当時、公開されていた邦画作品の多くはどこがぎこちなく、力が入りすぎて、今ひとつあか抜けない感が漂っています。

しかし、現在に至る日本映画の歴史として考えると、やはり、あの時代のああした作品は必要だったのかもしれません。

日本がどこかの国のものまねではなく、日本らしさ、独自の映画観を作り上げるための一過程としては、やはり避けて通れるものではなかったように思うのです。

今もって日本の映画界は興行的にはなかなか厳しいものがあるように聞いていますが、作品自体は観るべきものも確実に増えている。それだけ価値観が多様化し、今までに見えなかったもの、気づかなかったものに作り手側も観る側も気が付くようになり、そこから新たな視点での作品が生まれるようになってきたのだと思うのです。

そして、それはやはり、あの時代の角川映画がベースラインであった、つまりはそこからの反省や批判や或いは転換といった原動力を生み出す元となったということなのかもしれません。

この『人間の証明』が公開された後、日本はやがてバブルへと突入していきます。ある意味、バブル前夜の日本を象徴した作品がこの『人間の証明』であり、角川映画であったのかもしれません。

 

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