本と音楽と珈琲の日々

読書録、日々の出来事、雑感をつれづれに

BR 『ふれられるよ今は、君のことを』 橋本紡  

 

ふれられるよ今は、君のことを

ふれられるよ今は、君のことを

 

 《図書館本》H260426読了 

 不思議な感覚の漂う作品だった。 

 物語の中での時間の流れが一様ではないようだ。それは時代を飛び石のように生きている「彼」の時間だけでなく、この小説全体を流れる時間そのものが。単純にひとつの時間軸上での出来事と仮定すれば、主人公楓の年齢は、同僚の野崎先生のひとまわり下だから48歳ということになる。 

 だが、楓と「彼」は映画『霧の中の風景』をかつて二人で観たようであり、かつ、その後、BSで放映される同作品を観る。また、楓は生徒の前で高さ50㎝の椅子からひらりと飛び降りる。私の記憶では『霧の中の風景』が日本で公開されたのは1990年、BSで放映されたのは2010年ころではなかったか。

【映画チラシ】霧の中の風景 テオ・アンゲロプロス [映画チラシ]

 この間でも既に20年の時間が過ぎていることになる。しかし、物語の中では楓と「彼」の間に20年の歳月は流れたようには思われない。まさに読み手は、濃い霧の中を彷徨い歩いているような感覚だ。あるいはすべては複雑に交差する複数の時間軸上でのことなのか。 

 田辺先生の「すべての言葉というのは、書かれたそのときから、もう読む人のもの」という言葉がいみじくもこの作品を象徴しているように思える。ところで、タイトルである「ふれられるよ今は、君のことを」という言葉を発しているのは誰なのだろうか。楓か、「彼」か。しかし、ふたりとも相手のことを君とは呼ばないのだが。すると、あるいは…。

 時間をおいて読み直すことで、違った風景が見えてくるのかもしれない。

 

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